<コラム>アトリエにて

40歳までにアトリエを建てたいと私は言ったらしい。

母親曰く、大学に入って何年か経った頃。勿論、芸術を生業にしていくことがどんな事かなんて何も知らないに等しい頃。その後、学生を終えてから約10年。辛い時期も厳しい時期もなんだかんだ楽しみながらプロとしてキャリアを重ねることが今のところ出来ている。

画家、絵描き、芸術家……唯でさえ一般的には謎が多い職業なのに、私は日本画という更に馴染みのない世界に身を置いてきた。

食えないといわれているこの業界で、少しずつだが貯金できるようになってきたのは、確かに30代も終盤を迎えたここ1,2年だろう。

消費税が上がる前に、自分のアトリエを建てようと動き出し、半年間建築会社の社員や銀行員と頻繁にやり取りをした。そこでとにかく痛感したのは、絵を売って収入を得るこの職業が社会の中ではかなり特殊であるということ。とはいえ、隙間産業のように美味しいものではない。

家具職人や食器等日用品を作る人間ならば、需要と供給の形を誰でもわかりやすく目にすることができるが、手に職はあれど、職人と同じカテゴリーには入らない、なんとも言いようのない職種が日本画家なのだ。

壁に絵を架ける習慣どころか心の余裕の無い現代の文化レベルを嘆いていても何も生み出せないので、興味を持たれた場合には、私なりにこの業界のことをポジティブに説明することが多い。

しかし、それぞれの価値観が支配する世界なので、この世界にお金が発生することが信じられない人にとってはどうにも腑に落ちるものではなく、知れば知るほど首を傾げたくなる世界なようだ。

芸術に身を置く人間は食えない。いや、自由に好きなことやって生きているのだから食えなくて当たり前だという偏見も根強い。本来、貧困とハングリー精神は似て非なるものなのだと思うのだが。

しかし一週間ほど前、アトリエを手に入れることができた。

自己資金が少なく、最大ローンを組みどうにか実現したものであり、アトリエ重視の建物で生活スペースは微々たるもの。土地の価格の関係から、場所は実家よりさらに都心から離れてしまった。

しかし、結局私達は幾ら稼ぐかではなく何を生み出していくかの勝負をし、そこに価値を見出し生きていく人種なのだ。今回の件で多少社会に揉まれ、浮世離れした自分が露わになる中その思いはより強くなった。

奇しくも先日40歳になったばかり。

とにかく今日からこの場で良い仕事をしていこう。いつか傑作を生み出だすために。

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