<コラム>映画館について

自宅から車で10分位にシネコン系の映画館があり、PCの画面上ではなく劇場で映画鑑賞できることは、田舎町で暮らしながらも味わえる贅沢な気分転換方法だ。

何せ15分前には自宅で絵筆を持っていたのに、今目の前には大スクリーンが広がっている感覚は、都会で暮らしたことの無い私にとっては新鮮かつ不思議な気分にもなる。

大体がレイトショーでの鑑賞なのでお客さんも少なく、時には貸し切り状態で嬉しいやら寂しいやら。特にホラー映画を一人で観たときはさすがに緊張したが、鑑賞者一人での上映はどれくらいの赤字になるのだろうか、とか考えたりした。

もう25年も前になるが、私が大学に入学する以前は都内にミニシアターが多くあった。高校生~浪人中に単館上映の映画館に足を運ぶ日のわくわくする気持ちは今も忘れられない。

高校三年生の時にシネマライズ(渋谷)で観た「ファーゴ」は今でも大好きな映画の一つだし、シネヴィバン(六本木)で観たアニメ映画「ファンタスティック・プラネット」はカルト的な人気作で、六本木という土地にあるシアターならではの流石のチョイスだったと思う。

高田馬場のACTミニシアターは日本一小さな映画館。「アンダルシアの犬」や「戦艦ポチョムキン」といった衝撃的な作品を若き日に体感できたことは有り難い体験だった。

大学入試に失敗し、浪人生活に突入。その頃はレイトショーを観ることは時間との戦いで、千葉の実家へ帰るには有楽町、銀座あたりがギリギリの距離。新宿含め中央線界隈のレイトショーは諦めざるを得なかった。それは親元で浪人している立場上だけの理由でなく、単純にバイタリティーも無かったのであろう、オールナイト上映なんて唯々憧れるだけであった。

そして4浪もしたが大学に無事(無事というのか)入学し、また映画館に爽やかな気持ちで通えるようになった。

千石にあった三百人劇場での「ロシア映画の全貌2001」では、買い過ぎた回数券を消化するために付き合ってもらった友人達が、もれなくエンターテイメント性に乏しい作風に困惑していたが、私はカザフスタンやグルジアの映画と初めて出会い満ち足りた気持ちになったものだ。

逆に渋谷シネパレスで見た「I.K.U」は自分なりに背伸びをしてしまい、場違いな雰囲気に戸惑いを感じてしまった苦い記憶がある。

このように思い出をあげればキリが無いのだが、これらの映画館はもはや思い出の中だ。

単純に物体として存在しないのだ。

大学を卒業して作家になり、年を重ね、ある程度の時間の自由を得ていく最中、悲しい程のペースでミニシアターという遊び場が次々閉館していった。

マニアックで、当時単館上映でしかチェックできなかった映画も、今はPCさえあれば気軽に鑑賞できるようになった。もはやDVDすら不要なのだから小さな映画館が淘汰されるのは抗えない運命なのか。

オールナイト上映を見終え、まだ朝を迎えぬ薄暗い中、動き出す前の都会を歩く。それが勝ち組のように思っていたあのころの憧れは風に消えてしまった。

アトリエにプロジェクターで映し出すホームシアターレベルでは到底補えない悪魔的な魅力が小劇場にはある。返してくれないならいつか自分でそれを創り出したい。

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