画集刊行への道③

画集は6章に分類され、そのほかに瑞聖寺襖絵のことや、私の芸術性を論じた解説などの文章が掲載されていますが、その構成を含めすべては名都美術館主任学芸員の鬼頭美奈子氏によるものです。

鬼頭さんは15年前に「松伯美術館花鳥画展」に出品した時から、現在まで私の画業を見守り続けて頂いている、とても頼りになる先生。

実際の鬼頭さんはほんわかした雰囲気を醸す優しい女性ですが、以前私に「鶏口となるも牛後となるなかれ」という史記の言葉を教えてくれた人で、文章は骨太で逞しい。

私も忘れていたような若気の至り的エピソードも解説文に書いてくれて、この画集を面白く立体的にして下さいました。

その素晴らしい文章を、一部抜粋致します。

以下は、隈研吾氏が設計した白金台瑞聖寺の庫裏に奉納されている襖絵「闇霧」の解説文です。

2018(平成30)年、創建350年を迎えた紫雲山瑞聖寺の一画に位置する庫裏が、新たな装いで生まれ変わった。設計を手がけた隈研吾は言わずと知れた日本を代表する建築家の一人であり、和のイメージを重視しつつも大胆で革新的な造形美が高い評価を受けている。「開かれた寺院」をコンセプトに再建された庫裏は、方形の池をコの字型に取り囲む洗練されたデザインによって瀟洒な趣を宿し、人々を非現実的な空間へと招き入れる。また、池の中央に占める水盤は、それをステージと見たて様々な催しが行われることを想定しており、地域住民と深く繋がらんとする住職の理想が形となってその景観を彩っている。室内に座し、満々と水をたたえた池を眺めれば自ずと深奥なる境地へ導かれ、白金の地で江戸最初の黄檗宗寺院として建立されて以来、信仰を集めてきたこの寺の歴史と精神を知る思いがする。松岡の手がけた襖絵《闇霧》は、その美しくも清浄な世界へ来訪者を誘う重要な役割を担っており、画家としての手腕が問われる仕事となった。

大広間を包み込む白壁に突如現れたかのような寂々たる情景、それはモノクロームで表現された一面の枯葦原で、通常よりも大きなサイズの襖が観る者を圧倒する臨場感を伝えている。僅かな葉を残してすっくと立つ葦もあれば、途中で折れてしまったもの、寄りかかる葦を支える姿もあり、そこに松岡は人々の生きざまを重ね合わせたのだという。人生は千差万別ありながら人は皆霧の中を手探りで進み、何処へたどり着くともわからぬまま先を目指す。松岡の人生は道半ばであるが、紆余曲折を経て彼なりの絶望や喜びを味わってきたに違いない。その偽らざる想いを託したことで、誰もが等身大で向き合える禅の教えが示されている。鑑賞者が遠目に見ることを意識して筆を揮ったと語る松岡だが、それは目先のことにとらわれず、一歩引いた眼差しで自己観照に徹しよという彼からのメッセージなのかもしれない。

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