<コラム> 鶏口となるも牛後となるなかれ
10月も終わるころ、実家に帰ると名都美術館から展覧会のお知らせが届いていた。
「とっておき日本画コレクション」というワクワクするような企画。
この展覧会の主役は福田平八郎の「漣」。重要文化財であり、日本画の究極形ともいえる傑作だが、チラシの裏面を見ると、一度実物を観てみたかった池田遙邨作「雪の大阪」が展示されるとのこと。今回お知らせを頂いた学芸員Kさんのギャラリートークも聴講したいので、次の日、日帰りの突貫で名古屋まで足を運んだ。
展示内容は今まで強く掘り下げられてはいない大阪画壇について触れるものであり、著名な作家ばかりだが初めて目にする絵が多く、遠出をした価値は十分だった。
ギャラリートークとは一般の美術愛好家に向けてのもので作家に何かを教えるものではないが、Kさんの話は私にとっても興味深いエピソードが織り交ぜられ、飽きが来ず、かつ分かりやすい作品解説は絵を鑑賞しながらでも自然と頭の中に響いてきた。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
トーク終了後、Kさんとの雑談の中で出てきた史記に書かれた言葉。
簡単に言うと大きな集団の尻について回るより、小さいながらも集団の長として生きていく精神を述べるものであるが、Kさんは常にその言葉を胸に仕事をしているという。
なるほど、小さな美術館であるからこそ独自な目線から内容の濃い展覧会を生み出していける喜びと、同時に集客数の問題や来客者を満足させなければならない苦悩、そして何より日頃の努力が生み出すKさんの実力の謎がストンと解ける言葉だった。
その言葉はオリジナリティ溢れる作品を作ることを目標にしながらも、客観的に自作を見つめるバランス感覚が必要な作家の根底にもあるべきもの。
とても慌ただしい一日ではあったが、いただいた有り難い言葉に刺激され、湧き出るモチベーションを感じながら帰路についた。